海外駐在ママのライフデザイン湯本レイナです。

 

自分の意見を言うということ

先日、「自分の意見を言う」って意外と難しいんだ、ということに改めて気付かされました。

小4息子の国語塾で・・・

今週の小4息子の国語塾は「親子体験」ということだったので、強風大雨の中^^; 行ってきました。毎月、課題の本があって、それを事前に読み込んで、塾の時間にはその内容について理解出来ているかをゲームで答えるという形式。

で、その問題の中に「どちらの悪党がより悪いと思いますか?選んでその理由をみんなの前で発表しよう」というものがあり、順番に答えていくのですが、、、。

お教室にいた8人のクラス。3~4年生クラスだけれど、1人5年生が混じってる。

5年の彼女だけが「○○が悪いと思います。なぜなら○○が、△△したり□□したりするのに対して、私は××××と感じたからです。」と答えていて、残りの7人は全員「○○が悪いと思います。なぜなら○○が、△△したり□□したりしたからです。」とほぼ全く同じ回答でした。

【正解】はない問題だから、自由に自分の意見を言っていいんだよ、と先生からは言われているものの、残り7人の答えを聞く限りでは「自分の意見」と「客観的事実」の区別がまだつかないのかな?と考えさせられました。

日直の「本日のニュース発表」でも・・・

国語塾の話をしているそばから「あ!今日、学校で日直だから本日のニュースについて話さなきゃならないんだ」とおもむろにテレビをつけ見始めた小4息子。ひと通り朝のニュースを見てからの会話が↓以下。

母(私)「今日のニュースについて考えたこと1分くらいでお母さんに話してみる?」

小4息子「新幹線が停電で5時間停まってしまい、人々がパニックになった」

母(私)「そうみたいだね。で、それだけだと、ネットのニュースで見ても同じで、●●くんが話す意味は●●くんだからこそ考えたことを言うと伝わるんじゃない?」

息子「うーん、新幹線が停電で5時間停まってしまい、パニックになって、、、大変だった」

母(私)「・・・(全部『大変』で済ませる気か!)笑」

なにが出来事? なにが自分の気持ち/考え?

ニュースになるって、人々の想定を覆した出来事があったということ。そこには「フツーなら・・・」という基準が存在し、それとのギャップ・差が大きい出来事が人を引き付けるニュースとして放送される。

そんな想定を覆したことに対しての気持ちを言えばイイ。そう息子には伝えました。例えば、

「目的地まで非常に早く辿り着く乗り物って思われている新幹線が、5時間も足止めを食らうことがある」【事実】

「人々に信頼されてる新幹線でもそういうことがあるのだから、もし自分の身の回りに何か予測通りにいかないことがあっても、その時どきで一番イイ方法を選ぶようにしたい」【自分の意見】

あなたメッセージよりも、わたしメッセージ

子どもたちを見ていると日頃の兄弟ゲンカでも「○○ちゃん、こうしたらダメだよ!」「なんで??」こういうコトバはみな「あなたメッセージ」。あなたが主語になってる文。

それに対して、自分はどう思う、どう考えるをそのままコトバにするのが「わたしメッセージ」。ケンカの現場でも、「○○ちゃんがこうこうすると、僕は寂しい気持ちになる。」「○○ちゃんのこの事を見ると、僕は不安になるんだ。」

そんな「わたし」が主語になってる「わたしメッセージ」を家庭でも意識したい。

そのためにママができることは、大人目線で決めつけをするのではなく、なにごとも「あなたはどう思う?」「あなたはどう感じた?」と子どもに常に確認することかなぁと思います。

その積み重ねが【自分の意見】を言うことができる大人に育むステップになる!