著名な方のエピソードを聞くと、波乱万丈な人生だったり、大変な苦労を乗り越えた武勇伝だったりして、自分の人生は平凡で特に際立ったものがないなぁと思ってしまうことはありませんか?そんな方に向けて、「フツーである勇気」について書きたいと思います。

「聴くこと」「健美食ファスティング」「マインドフルネス瞑想」でありのままに、着実に、自分らしい幸せ人生ストーリーを実現するお手伝いしています、ライフトークパートナー湯本レイナです。

フツーである勇気

他の人と同じであることを求められていた時期

私たち日本人は子どもの頃から他の人とあまり大きく変わりがない方が良しとされて育てられてきたように感じます。いわゆる「フツー」であることを求められてきたように思います。服装、住まい、食べるもの、考え方、などなど。

「自分」を明確にするために「特別」でありたいと思う気持ち

けれど、成長するにつれて、今度は自分の個性を発揮するために「特別」であることを求めるようになる時期もあったかと思うのです。

「他の人よりも優れていること」「他の人がしないような極端なことが出来るということ」を自分の特徴のようにして、自分のアイデンティティを確立しようとする。

良い方向に振り切れる(よい成績をとる、善い行いをする)こともあれば、悪い方向に振り切れる(親をわざと困らせる、社会的に悪いとされることをわかっててやる)こともあります。

でもそれは、多くの場合は「振り切れる」ことが目的になっているので、本来の自分ではないけれども、そうせざるを得ないと思ってやっていることも多いかと思うのです。

そしてこれらの多くは、他人からの評価(「すごいね!」)があって初めて自分の価値が判断できるのであり、常に他人からの評価が気になり、求め続けなければならない苦しい生き方でもあると言えます。

そこで、フツーである勇気が求められる

他の人と同じであることを求められ、そして真逆の特別であることを望んできた私たち。最終的には「本来の自分」とはどんな自分なのかを自分で見つけていくことが必要であると気づかされます。いわゆる「自分軸」を持つことですね。

そこで選んだ自分の在り方が、その他一般の人と同じ在り方であったとしても、つまりはそれが「フツー」であったとしても、「自分軸」がしっかりしていれば、それはそれで自分の道であると胸を張って言えるわけです。

そう考えてみたら、自分の人生が波乱万丈で特別なものでなかったとしても、恵まれた環境でさほど大きな苦労をしてきたわけではなかったとしても、その人生の中にその方オリジナルな生き方として大きな価値があると言えると思います。

「特別」であろうとすることを手放し、「フツー」である勇気を持てたとき、人は本当に自分のことを認め、受け入れることが出来ているといえるのではないでしょうか。