「自分を変えたい」「望む未来を叶えたい」40代女性のための「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」が持てるようになるレッスン:ライフトークパートナーの湯本レイナです。

主宰しているオンラインサロン「今ココを感じてありのままに”失敗を楽しめる”オンラインサロン」では、定例会として、毎月3種類の勉強会を開催しています。そのうちの一つが「アドラー心理学勉強会」。

2年前から始めたこの勉強会では、最初は「幸せになる勇気」(赤い本)を読み進め、現在は「嫌われる勇気」(青い本)をみんなで読みながら、実生活に照らし合わせて感じたこと、気付いたこと、疑問に思ったことなどをシェアする会として行っています。

で、11月の勉強会で出てきたのが冒頭のこのコトバ。「誰かが始めなければならない」

叱ってはいけない、褒めてはいけない、というアドラー心理学で有名な考え方の章において、「課題を分離」して「ヨコの関係」を持つことが紹介されます。叱らず、褒めず、”勇気づけ”のコミュニケーションの必要性が訴えられるわけですが、その勇気が持てるのは「自分に価値があると思えた時だ」というのです。

「自分に価値があると思える」・・・。それは特別なコトが出来ることでもなく、ただただそこに存在するだけで価値がある、ということに私たちは気付いていきたいのです。「ただそこに存在するだけで価値がある」なんて言われてもピンとこないかもしれませんが、交通事故に遭って生死を彷徨う状況などでは実感できるというのも想像できるかと思います。

人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。

他者に働きかけて、「私は誰かの役に立っている」と思えること。それは、誰かから「よい」と評価されるのではなく、自分の主観で「私は他者に貢献出来ている」と思えること。そこで初めて、私たちは自らの価値を実感することができる、というのです。

他者に関心を寄せること、横の関係を築き、勇気づけアプローチをしていくこと。こうすることで、「わたしは誰かの役にたっている」という生の実感につながり、回りまわって自らの生きる勇気につながっていくという考え方です。

でも、こうした考え方は「偽善だ!」と非難されることもあるでしょうし、あまりにこれまで考えてきたこととの違いがあることから、相手にされないこともあるかもしれません。この「共同体」に対する考え方は、これまで勇気をくじかれてきた人にとっては、一度この共同体という考え方に心を許すとまた傷つけられる・勇気がくじかれるかもしれないと思い、恐れ、アドラーの共同体感覚について否定的な意見をぶつけられるかもしれません。

それでも、アドラーはこのように考えたそうです。

誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。

11月の勉強会では、参加者の多くの方がこのコトバに勇気をもらったようでした。湯本自身もそうです。子育ての場面、夫婦関係の場面などなど、自分自身としては「こうありたい」という目標・ゴール・理想を目指してそのように考え、行動をしても、それに対して否定的な反応を受け止めることも少なくありません。

でも、そんな時にもこのコトバは、とても心強い勇気づけになりました。

今、共同体感覚を意識しながら、自己への執着を手放し、周り(他者)への関心を持とうと頑張っている方への勇気づけになれば幸いです!