今、あなたが頑張って学んでいるものがあり、周りからも「十分上手にできてるよ」と言われるのに、「いやぁ、まだまだ自分なんて」と思ってしまうことはありませんか?
例えば、湯本はもともと「料理ニガテ意識」があり、「冷蔵庫にあるものを使ってササっと作る」なんて料理上手の人みたいなことは自分には無理だわ~、という思い込みがあります。
けれど、ファスティングに出会って、食への関心を持つようになってから、まずは台所に立つようになり、次第に、季節の旬を意識したり、手づくりを増やしたり、発酵食を取り入れたり、また去年はマクロビや漢方・薬膳の学びも始めたりなどして、いつの間にか毎日のように色々なものを作るようになっていました。
それでも、自分では「自分はレシピ通りにしか作れない、料理がニガテな人」というレッテルを貼っていて、周りの方に「レイナさんはもう料理ニガテとは言えないんじゃない?」って言われても、全然そう思えなかったりするんです。
じゃ、どうなれば「料理ニガテ」を克服・卒業したと言えるの?と聞かれたら・・・。今の自分の意識のままだったら、たぶん、そんな時は一生来ないんじゃないかと思うんです。なぜなら自分の中での目標が「完璧」だったりするから。
そう、何かとてもニガテ意識があることって、その分野で目指すところが「完璧な状態」だったりするんじゃないかなと思うんです。
例えば、私は語学を学ぶのが好きで、中国駐在中も中国語の勉強に励んでいたものですが、中国語を完璧に使いこなすことは最初から目指していなくて、自分の中で「中国人や台湾人のママ友とこれくらいのレベルのコミュニケーションが出来たらいいな」「中国で生活するうえでローカル市場などで買物するときに自分の意志が伝えられればいいな」という意識だったので、そこまで完璧に使いこなせていなくても、さほど「ニガテ意識」を持つことはありませんでした。
でも逆に、英語に関しては、学生時代からずっと勉強していたものだし、大学の学科が「英語学科」だったということもあって、帰国子女の同級生たちの英語力を目の前にして、自分が目指すところがある意味「完璧」な状態だったんでしょうね。英語は好きでしたが、いつまでたってもある意味「ニガテ意識」はぬぐえませんでした。
この「ニガテ意識」を(善い意味での)「劣等感」として、もっと成長しようというバネにしていくことが出来れば、人生は向上していきますし、悪いものではないと思います。
ただ、「ニガテ意識」を持ち続けることで、自分のことをいつまでも認めてあげることができなかったり、自分で作った「枠」や「殻」から抜け出せなかったりするとしたら、それはもったいないことですよね。
私もそろそろ、この「料理ニガテ」と言い続けてたことに向き合って、肩のチカラを抜いて食に関わることを楽しめたらと思っています。あなたもあなたの「ニガテ意識」について、一度向き合ってあげてみませんか?
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ライフトークパートナーの湯本レイナ