「自分を変えたい」「望む未来を叶えたい」40代女性のための「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」が持てるようになるレッスン:ライフトークパートナーの湯本レイナです。

先日、学生時代の同級生で、現在、高校生のお子さんの2児のママをされてる方が、とある記事をFacebookで投稿されていて、感じることがあったのでシェアしたいと思います(ご本人に許可を頂いております)。

「夜中のカップ麺」エピソードが教えてくれるコト

以下、その方のエピソード記事の抜粋です。


昨夜、高校生の息子と娘と私の3人で、深夜にカップラーメンを食べました。

そんなことをしたのは初めてで、何とも言えぬ背徳感のせいか3人で変なテンション。

なぜ息子はバリバリの理系になったのか(私はド文系なのに)という議題で、息子がさらりと、「幼少期の教育だよ。」と。

曰く、幼い頃、毎週図書館に連れて行ってくれたから好きな本を好きなだけ読めて、興味をもてば科学館とかプラネタリウムとかに連れて行ってくれて、好奇心を満たしてくれた、と。

子どもは「家庭」っていうガチャガチャをやって、どんな家庭が当たるかわからないんだよね、俺たちはいい家庭が当たってラッキーだったよな、と。

「ほんと、そうだねー。」と同意する娘。

なんか…カップラーメン食べながら、嬉しくて涙出ました。

ありがとうよ子どもたち。お母さんはまた頑張れます。

 


この記事を読んだ時、いろーんなことを考えさせられました。

子育てママとしての子育て論。そして、この素敵なエピソードには「夜中のカップ麺」っていう、非日常があったということ。

ファスティングマイスター的には、そして健康美容食育指導士的には、カップ麺自体食べないものですし、夜中に食べる行為自体もしないので、「夜中のカップ麺」とだけ聞くと負のイメージばかりが浮かびがち。

ですが、そんな「夜中のカップ麺」があったからこそ、フッと緩んで、親子同士が本音で語ることが出来る場が創り上げられたのかもしれません。そう思うと、世の中にはムダ(不必要なもの)なんて一つもなくて、普段だったら悪者にされるであろう「夜中のカップ麺」でさえも、役割があるんだなぁと思ったりもしました。

何を食べるのが「正」で、何を食べるのが「悪」か、ということばかりに囚われるのではなく、その時に必要なものがそこに用意されていると感じること。そして「何を食べるか」も大切ですが「誰と」「どのように食べるか」も同じくらい、いやそれ以上に大切なんだということを改めて考えさせられました。

あ、だからといって、今日の夜に「夜中のカップ麺」を積極的に食べる必要はないですけどね(笑)。