以前の毎週水曜朝8時発行の「湯本れいなのアドラー流勇気づけメール」でお届けした内容から抜粋します。

あなたは周りに「それってこうした方がいいのに・・・」と思ってしまう人っていませんか??

例えば、職場の同僚が、何度も同じミスをするから、それを注意すると反応が感じ悪くて、もっと素直に受け取ればいいのに・・・と思ったり。

旦那さんが、ちょっとしたコトでイライラしてて、もっと心に余裕を持てばいいのに・・・と思ったり。

子どもが、提出締め切り間際まで手を付けずに、結局、焦って上手にできないのを見て、もっと前もって取り組めばいいのに・・・と思ったり。

はたまた、例えば、夫婦関係とか仕事のこととか、悩み相談された時に「コレがダメだからじゃない?」「アレをした方がいいんじゃない?」とアドバイスしたくなったり。

相手が困っていると思って、何かしてあげたくなったり。

とにかく、世の中に問題を見つけると、それを何とかしたくなる・・・。そんなことってないですか??

私はこれまで結構、この傾向があって、自分が関わることで、その問題を抱えていた人の悩みが解消されたら、世の中に貢献できたと思っていたんです。

 

でもね

 

「なまけ者のさとり方」という本に、こんなことが書かれていました。

「何か人にしてあげたいという私達の衝動的な感情は、大部分、他の人達の立場を自分勝手に解釈しているところから生じている」

「他人の中に見る欠点は自分の欠点」

「私たちが見ているものは常に私たち自身」

「間違ったことをする自由を彼に許してあげないとすれば、それは私たちが間違っている」

 

これを読んだ時、子育てで、子どもが間違っていることをするときに、それを「見守るという勇気」が思い出されました。

そして、自分の世界の見え方は、その人自身の心を映し出しているということも。

「なまけ者のさとり方」には、繰り返し「わたしたちは、すべてが平等で、すべてが同じもの」というメッセージが書かれていました。

こちらから見て「あーすべきじゃないのに」「こーした方がいいのに」と思ったとしても、彼(彼女)もちゃんと自分でわかることができる。

それを信じる勇気をもつこと。

「間違ったってイイ」「失敗したってイイ」「遠回りになったってイイ」

「問題解決」の名のもとに、他の人から間違ったことをする自由や無知なままである自由を奪い取る権利は私たちは持ってない、ということ。

もちろん、世の中のサービスのほとんどが、誰かの問題を解決してあげることで報酬をもらっているとは思うのだけど、相手が体験すべき貴重な経験である無知や失敗や痛手の価値もわかったうえで、どんな風に寄り添うことが出来るのか。

対人支援を行うのであれば、そこまで考えたうえで、相手を思いやって関わっていきたい。

「わたしたちは、すべてが平等で、すべてが同じもの」だから・・・

 

「自分を変えたい」「望む未来を叶えたい」40代女性のための「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」が持てるようになるレッスン

しあわせな人生実現ライフトークパートナー 湯本れいな

 

 

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