外出先で出会う人が不愛想だったことが気になったなぁ、なんてことはありませんか?

エッセンシャルな人生を送る女性が夢・想いをどんどん叶えていく「わたしらしい幸せ」ライフエディター湯本レイナです。

相手が不愛想だったのが気になる時は・・・

人と人とのコミュニケーションは、コトバのみならず「非言語」なものも含まれます。例えば、「表情」だったり「声のトーン」だったり「姿勢」「しぐさ」だったり。

お店の人が接客上の決まり文句を言う限りでは、「コトバ」自体は丁寧かもしれませんが、この「非言語」コミュニケーションがうまくいかないと受け取る側としては不快な想いをしますよね。

「課題の分離」

お店の人の不愛想は、その方が出勤前に何か悩みがあったのかもしれない。うまくいってない状況があるのかもしれない。それらはみんな「相手の課題」です。それを受け手側がどうにかすることは出来ないので、仮に不愛想な態度をこちらにぶつけてきたとしても、それは相手の課題である限り、私たちは見守ることしかできません。

で、今日の表題の「相手が不愛想だったのが気になる」というのは、今度は受け手の課題。そんな店員さんの態度やコミュニケーションを何とも思わない人もいれば、気になる人もいるわけです。その違いは?というと、受け取る側の心の状態です。

受け取る側がニュートラルな状態で、相手とのコミュニケーションの表面上に出てくるものに対して反応しない状態であれば、不愛想な店員さんの態度に対して何も思いません。が、受け取る側が「接客をする時には〇〇すべき」「わたしは大切に扱われるべき」という信念があり、それに反していると、相手の態度が気にくわないと感じることがあります。それを不便と思っているのであれば、それは自分(受け手)の課題と言えるでしょう。

「〇〇すべき」がどんなにもっともなことであったとしても

この時、少し注意したいのは、「接客をする時には〇〇すべき」というのが至極もっともなことで、普遍的なものであったとしても、それを求めすぎると視野が狭くなるということです。

私自身もアドラー心理学の「ヨコの関係」でいることを大事にしすぎるがばかりに、ちょっとでもタテの関係を構築しようとする人に対して、過剰に反応するようになっていました。それでは”生きにくい”ですよね。

「『ヨコの関係』であるに”越したことはない”」と、「〇〇すべき」を少し緩めてみること。そして「〇〇すべき」と考える反対側にある自分の感情・思考にもキチンと向き合うこと。

そうすることで、生き方に余裕がうまれ、より善く人生が回転していくきっかけになっていきます。