「聴くこと」「健美食ファスティング」「マインドフルネス瞑想」でありのままに、着実に、自分らしい幸せ人生ストーリーを実現するお手伝いしています、ライフトークパートナー湯本レイナです。
世の中で取り上げられる人たちが波乱万丈な人生を乗り越えてきているエピソードなどを見ると、「自分は至ってフツーだなぁ」とか「平凡すぎで何も特別なことはない」と自分自身のことを想ってしまうことはないですか?
先日、継続クライアントさまとのセッションの中でそのような話が挙がり、コレってこのクライアントさまのみならず、世の中の多くの人が感じていることじゃないかなと思ったんです。
「特別」であることはイイこと?
子どもの頃、「普通」であることよりも「特別」であることの方が、周りに注目されやすく、チヤホヤされやすくなるので、「特別」であることがイイことと思われることが多かったと思います。
スポーツで特別である子、勉強で特別である子、音楽で特別である子。秀でていることで特別になり切れなくて、悪いことをして特別になろうとする子も。
そしてこんな意識は、大人になってからも続くことがあります。「特別」でなければならないと感じ、「特別」であることを求めるがばかりに周りの「特別」のように見える人を羨み、自分と比較して落ち込むなんてことも。
大病を患っている、幼い頃の環境がツライものがあった、大きな自然災害の被害にあった・・・。確かにそれらを経験し、乗り越えていった方々の苦労と努力は人一倍大きいものだと思います。が、そうした経験をした方のみならず、どんな人にもその人オリジナルの人生エピソードはあるものです。そこに「特別」も「平凡」もないわけです。
普通である勇気
アドラー心理学で言われるこのコトバ「普通である勇気」。「特別」であろうとする方がラクちんなのです。先ほど述べましたように、幼少の頃からそのように信じて育ってきたわけですから。
でも、ここで敢えて「フツー」でいようと思うことの方が「勇気」がいることなのです。その他大勢であっても「自分」というものをしっかり持てる意志・決意があるわけですから。
平凡な環境で育った平凡な自分。だから「スゴイ人」にはなれない。でも、それでイイじゃない?「スゴイ人」ではなくても「唯一無二のあなた」であるのだから。
唯一無二のあなたはどんな人ですか?どんな人生を送ってきていますか?それはどんなに平凡に見えても1人1人オリジナルな生き方であるはず。そんなあなただけの人生ストーリー。しっかり自分で向き合ってみてほしいなと思います。