以前の毎週水曜朝8時発行の「湯本れいなのアドラー流勇気づけメール」でお届けした内容から抜粋します。

「あそこのお店、美味しかったヨ!」「このアイテム、めっちゃ便利だヨ!」

そんな風に、自分がイイなと思ったコトは他の人にも教えてあげたくなるもの。それ自体、悪いコトじゃないし、むしろ教えてもらって助かることも多い。

でも、この想いはどうだろう?「私も子育てが行き詰まり、自分を失いそうになったけど、〇〇に出会って救われた!だから、私と同じように
悩んでいる人が救われるように〇〇を広めていくのが私の使命」

コーチを目指す人、コーチをしている人によくあるパターン。

もしくは、「あれはダメ、これもダメ」「アレはやるべき、こうすべき」など、親が自分の苦労を子どもにさせたくなくて、自分が得た教訓を子どもの人生に活かしてほしい!という子育ての現場の強い想い。

どちらも、一見、相手を思いやる気持ちに溢れた愛の想いと行動に見えるけれど、湯本はココに疑問を呈したい。

誰かが悩んでいる。

悩みがあるがために、その人は学校に行かなかったり、食事を摂らなくなったり、反抗的な言動をしたり、いつもの笑顔がなくなったり、愚痴ばかりを口にしたり。

そんな人を目の前にして、何とかしてあげたくなるのは、「あなた自身」が耐えられないから。

「悩んでいる本人」が助けを必要としているから、ではないことに気付いていきたいのです。

冒頭の「私はこの悩みを持っていて〇〇で解決した!」という経験があるときに、「この店、美味しかったヨ」と同じように、誰かに伝えたくなること自体は自然なこと。

でも、その悩みを持っている人の悩みを取り去ってあげようとする=悩みを取り上げてしまうことにならないように、対人支援をする立場にある人は意識的にありたいと思うのです。

悩みを持つこと。

うまくいかなくて苦しむこと。

理解が出来なくてモヤモヤすること。

これら全部、その人が必要だからその人に起きているのであり、それを取り上げてしまったら、その人はそれらを自らの力で克服するという経験をすることが出来なくなってしまう。

悩む人を前にして「私が何とかしてあげないと」と思うのは、「悩む」「苦しむ」「モヤモヤする」に対して「それらは悪いコト」というジャッジをし、かつ「あなたは能力がないからあなたには克服できないでしょ」「わたしはあなたよりも経験・能力のあるから克服できる、よこしなさい」と言ってるのと同じコト。

じゃ、困っている人がいても、何も手を差し伸べることなく無視するの?

というと、そうではない。

「介入」ではなく「援助」をする。

アドラー心理学ではこの概念を「課題の分離」というキーワードで皆さんと理解を共有し、実践の場で生かしていきたいと日々模索しています。

「私は〇〇でラクになった、幸せになった」と発信するのは、その人の歴史を表現すること。

「なので〇〇を広めるために、困っている人を探したい、集めたい、治したい」と発展しそうな時には、注意が必要☆というお話しでした。

「対人支援をする人」と書きましたが、子ども・親・夫婦など家族に対する関わり方でも、上司部下などの職場での関わり方でも、どんなところでも言えることかなと思います。

自分自身も「魂の成長」のために「生」が与えられてきたように、他の人も「魂の成長」のために、人生が与えられてこの世にいることを湯本自身、自戒を込めて意識していきたいと思っています。

 

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