「自分を変えたい」「望む未来を叶えたい」40代女性のための「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」が持てるようになるレッスン:ライフトークパートナーの湯本レイナです。

「閾値(いきち)」という言葉の使い方があってるか自信があまりなく、かつ、うまくお伝えできないかもしれないという恐れもありますが、今日は敢えて「閾値を超える感覚」について書いてみたいと思います。

「閾値(いきち)」を超えると違う感覚が待っている

毎日の習慣化として、湯本は自宅でピラティスをしています。毎日とはいっても、平日の朝の時間なので、予定が入っている日など、出来ない時はそれもヨシとしています。

そんな緩いルーティンでありながらも、やはり習慣化させるときに困難はつきもので。

何かにつけて「今日は忙しいからやめておこう」とか、「今日はちょっと疲れているからムリしない方がいいかな」とか、理由をつけてさぼろうとする自分がいます。

でも、やはりさぼるとその後、「やっぱりちゃんとやればよかった」「出来る時にやらないでいつやるんだ」など、罪悪感と自分を責める気持ちで落ち込むこともあり、この習慣化を継続させることに「恐怖」のようなものさえも感じることがありました。

それが、つい先日、ちょっと違う感覚を持っていることに気付きました。

自宅でピラティスを行う時は、YouTubeの動画に合わせてエクササイズをしているのですが、このYouTubeのピラティスのプログラムを最近、これまでとは違うものにしてみたんです。明らかに前よりも負荷が強いもので、1回やれば暑い季節でなくても汗がじんわり出てくるくらい。

普通、負荷が強いものを習慣化する方が続かなさそうと思いがちですが、実はこのプログラムを数日やっていたら逆に、「継続したい」自分が出てきたんです!

これって「筋トレあるある」なのかしら?負荷が弱いトレーニングではあまり身体への効果もなくて、意志のチカラだけで「やる・やらない」を選んで継続するのは大変であっても、ある程度、身体への効果を実感できる負荷であれば、逆に「やった方が気持ちイイからやる!」と思えるようになる、というか。

これってもしかしたら、他のコトにも言えるのかもしれないと感じています。

台所でのごはんやおやつの手づくりも、正直、最初、始めた頃は多少面倒だけど、「こうせねば」「こうした方がイイから」と頭で考えて【意志のチカラ】で「やろう!」「やらねば!」とやっていたのが、ある程度、身体がその食生活に慣れて整ってきて、身体そのものが「その方が気持ちイイからやろうよ」という気持ちになってきたら、「頑張ってやる」のではなく「ラクにやれる」になるのではないかなと・・・。

そこに行きつくには、ある程度、継続していく必要があるかもしれないし、先ほどのピラティスの負荷のように、自分にとってきつすぎず緩すぎない「適切な負荷」である必要もあるのかもしれません。

自分を変えたいと思って何かにチャレンジし、それを自分のものにしていく時。こんな点を意識していくとよいのかもしれません。